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戦後引揚者財産の6割以上が返還されず〜引揚者に課されたインフレ対策の資本規制

1945年8月15日の終戦時、約660万人以上の日本人が海外にいたと言われている。
引揚事業によって、1949年末までに624万人が日本に帰還したが、インフレ対策によって財産(紙幣、軍票、株券、保険証書、預金通帳など)の持ち込みは1人1000円(現在の価値で20万円程度)に限られ、超過分は在外公館や税関に預けられた。引揚者の財産返還は1953年から実施されたが、連絡先が分からない等で現在でも6割以上が返還されておらず、最近はほとんど変換実績がないとのこと(読売新聞産経新聞)。

戦前・戦中の莫大な軍事費負担で積み上がった財政赤字のツケは、1946年2月の預金封鎖・新円切替によって償わされたことが有名であるが、この引揚者の財産持ち込み制限も資本規制の一つと言えるだろう。1953年から返還されたとのことだが、戦後のハイパーインフレで紙幣や預金はほとんど紙くず同然になっていたと思われる。逆に株券は相当な価値になっていることだろう。

引揚者の資本規制は、預金封鎖・新円切替とともに記憶されるべき戦後のインフレ対策の歴史だろう。

関連記事:
・預金封鎖・新円切替の抜け穴となっていた株式店頭取引

コメント
>戦後のハイパーインフレで紙幣や預金はほとんど紙くず同然になっていたと思われる。逆に株券は相当な価値になっていることだろう。

実際は、戦後のハイパーインフレで株価は暴落します。かかるインフレが実需を伴うものではなく財政インフレだったからでしょう。

もっとも、その後、朝鮮半島における有事を織り込みながら株価は急騰し、いわゆる戦争特需で一旦ピークアウト。こんな感じでした。

巷間言われるような「インフレに強い株式」云々は、財政破綻とリンクしたインフレーションでは当てはまらないようですね。
  • キセン
  • 2015/08/17 6:06 AM
1945年から1949年まで証券取引所は閉鎖されています。「戦後のハイパーインフレで株価は暴落します」という表現は、具体的には何に基づいているのでしょうか?
  • ゆうき
  • 2015/08/17 8:12 AM
>1945年から1949年まで証券取引所は閉鎖されています。

ご存知かとは思いますが、その間も歴とした店頭取引は行われていました。戦中戦後を通じて間接金融が原則だった(現在もそうではありますが、)我が国では、むしろ店頭取引のほうが中心でした。

因みに、財閥系家族保有の株式は、戦後10年間譲渡禁止の国債に転換されたその挙句、ハイパーインフレの影響で無価値化されたようです。

>「戦後のハイパーインフレで株価は暴落します」という表現は、具体的には何に基づいているのでしょうか?

石川通達さんの「日本金融年表・統計」など文献はいろいろありますが、ネット上だと、大雑把ですがそれらしいチャートとしては、"http://www.capital-tribune.com/wp-content/uploads/2012/05/20120529zu011.gif"でしょうか。このチャートのある記事内には、「株式市場は、インフレによってパフォーマンスが低い状態が続いていたが、取引所の再開など制度面の整備が進んだことで徐々にインフレに追い付いてきた。・・・」云々との言説があります。

基本的に前半は当方と同趣旨ですが、後半は、「いわゆるドッジ・ラインに基づくインフレ抑制策によって、証券取引所の再開で経済界が期待した、後の朝鮮特需による(実需に基づく)株価上昇分を相殺されてしまった」くらい述べていただければよかったのかなと思います・・・。
  • キセン
  • 2015/08/17 10:57 AM
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